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人は何のために生きるのでしょうか?

更新日:2020年7月18日





「イエスは彼に言われた.『心を尽くし、思いを尽くし、知力をつくして、あなたの神である主を愛せ よ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二 の戒めも、それと同じように大切です。」(聖書)


連日のように家庭内での殺人事件が発生しています。「食べるのが遅いのでいらいらした」といって頭から熱湯を浴びせられ、棒でたたかれ幼い子が死亡した事件。有名進学校の息子の放火により、 母と弟、妹が殺された事件。有名国立大学の息子に「パチンコばかりして」と注意して殺されたお 母さん....。 何と悲しい事件ばかりが続くのでしょうか。

今日も、全国の家庭では、有名高校、大学に入学出来 るようにと子どもたちは塾通いをしていることでしょう。 どんなに苦しく、つらくても、殺人によって問題を解決することは、自殺行為です。一人の死に終わらず、家族、親戚全体に悲しみが広がるのです。教育がいつの時代においても最重要課題であることは、多くの人々が共有する価値感ではないでしょうか。しかし今日、真剣に考えなければならないのは、教育の根本は何であるかと言うことです。職業教育、資格取得教育以上に〝生きる意味、目的〟を教えるのが教育の根本ではないでしょうか。大人たちが生き様を通して子どもたちに 生きる意味を教えなければなりません。 〝種は相応しい実を結んでいるのです。〟



目的を失った人生

「私の人生に意味がない、目的がない」と考え、集団自殺をする人々がいます。 人は「考える」存在です。ですから、すべての事柄に意味づけを求めて止みません。もし、目的が はっきりとしているなら、その目的達成のために努力をするでしょう。「勉強しなさい、働きなさい、でなければ生きて行けない。」と教えるのですが、何のために生きるのかを教える人がいません。


誤った目的の人生

どんなに努力して走っても目的が誤っていれば、正しい目的地に到達することは出来ません。大学に入学するのが目的でしょうか? リストラ、病気での失業、退職などで、仕事が出来なくなるなら生きる意味を失うことになるのでしょうか....? お金や高等教育、職業も生きるための手段であって目的ではありません。あるいは当面の目標にすぎません。 人は、生きる限り意味を持ち、目的を必要としています。


欲望のためでなく愛に生きる人生

進化論によって教えられた人生観は、人間が中心となり、 勝ち進む者だけが生き残ると教えられ、結果的に、欲望の追求が目的となってしまうのです。殺人、 不正、ねつ造などが生じるのも自己中心的欲望からではないでしょうか。 キリストは「万物は創造主によって造られ」神は尊い目的を持っておられると教えました。 その目的とは、創造主を愛し、人間が互いに愛し合うことであると言われました。家族が傷ついて、 あなたは喜ぶことが出来ますか。自分を犠牲にしてでも家族や友人、隣人が喜ぶ姿を見ると、あなたも、喜び、しあわせに感じるでしょう。 愛の一つの現れは赦しです。あなたを傷つけた人を心から赦す事が出来るでしょうか。本当に人を愛するとは、とても難しいことです。ですから、今日も争いは止みません。そして互いに愛し合う家族の中で争い傷つけ合っているのではありませんか。 人間の自己中心的生き方は、まず、神との間で生じました。 人は神の存在、意志を拒み、その後、他者との関係においても自己中心的に生きるようになったのです。 ですから、最初に神との関係を回復しなければなりません。

感謝します。神は愛なるお方です。人を裁く権利を有しておられるのですが、人を赦し自ら関係回復の手を差し延べて下さいました。

イエス・キリストの十字架は神の愛の最高の現れです。人類の罪はキリストの上におかれ、キリストは身代わりとなって十字架上で苦しみ裁かれたのです。罪人を裁く神の正義と赦す愛が、十字架上で示されたと言えましょう。

「神はその独り子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(聖書)

キリストは言われました。

「私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くためにきたのです。」

神はどのような人をも愛し赦そうとされているのです。すでにイエス・キリストの十字架の身代わりによって、すべての人を赦す十分な代価が支払われました。誰でも神の愛を感謝して受け入れるな ら、神の愛と赦しに与ることができるのです。 人にとって愛に生きることが本来の目的ですが、罪を持つ故に愛に生きることが人にとって難しく、代わりの目的を掲げて生きようとしているのではないでしょうか。しかし、これ以上、家庭が殺戮の場となる前に一人でも多くの方々に神の愛を知り、愛の中に生きる者となっていただきたいので す。


「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛して下さったなら、私たちもまた、互いに愛し 合うべきです。」(聖書)




著/ 西舞子バプテスト教会牧師

  表 博之






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