永遠のいのちと厄払い


「だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。 ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」 (ルカ10:20)


「永遠のいのちと厄払い」について考えてみましょう。

平安時代の初めに京都で天然痘をはじめとして、伝染病が広がり、多くの人々が恐怖に見舞 われました。どこの国でも様々な災害が生じると「怨霊の祟り」と考え、その「祟りを祓う」 ことが中心となって宗教、神社、仏閣が誕生してきました。菅原道真の怨霊が天皇のいる京都で疫病をもたらしたことの厄払いとして、祇園祭が誕生したと言われ、のちに仏教から離 れるために八坂神社となったと祇園の由来が説明されています。仏教はインド、中国そして百済を通して日本に伝来した外国からの宗教ですが、天然痘の流行が背景にあり、6C に日本に土着しました。新型コロナウイルスの広がりで、多くの日本人は厄払いを願うことでありましょう。


聖書は何と語っているでしょうか。自然環境の厳しさ、争い、病と死は、最初の人アダムの 罪(神への自己中心、不従順、不信仰)のゆえに病と死は人類にもたらされました。人の肉体の寿命には限りがあります。病をはじめ様々な理由で、すべての人は死を迎えなければなりません。そして、神の前に立ち、裁かれるのです(ヘブル9:27)。


しかし、神が聖書を与え、イエス・キリストが十字架上で死んでくださった目的は、信じる すべての人々に永遠の命の希望を与えてくださるためであります。アダムから伝えられた罪はすでに赦され、裁かれることのない、平安あるいのちをいただくことができるのです。 人間は、神を否定して、自分たちの思うように生き、自分たちの力ですべての問題を解決し ようと試みて来ましたが、人の力には限りがあります。

21C は、人間の英知による科学技術が大いに進歩し、今日の金融制度の中で、ある人々は、 巨万の富を手にしたことでしょう。しかし、人類の手によってユートピアを築くことはでき ません。僅か数ヶ月で富は失われ、いのちも奪われるのです。神とその御心を忘れた人生は、 失われた人生であり、まことのいのちに生きる生き方ではありません。目の前の厄を祓うこと以上に永遠に生きるいのちをお求めください。


2020年4月5日


著/ 西舞子バプテスト教会牧師

  表 博之

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